継続することはいいことなんだが。。。

みなさんこんにちは、くぼみちです。

本日は3月30日(金)。2011年度の最終営業日って会社も多いのではないかと思います。

この季節になると思うことがあります。それはスパッとはっきり言えない、なんだかもどかしい感じだった利します。

それは、「継続することはいいことなんだが。。。」という「おい、どっちやねん!!」って突っ込まれそうな思いです。

昔から「継続は力なり」という言葉があるくらい、「継続」することについて我々日本人は大切にしてきたと思います。この考え方があるからこそ、ある程度できたらいいやではなく、とことんまで追求することができたわけだし、日本の技術力というのも、この考え方が根本にあるんだと思います。ようは、日本人は「我慢強い」わけです。

で、継続することは確かに正しい、そう思うのですが、最近どうもそうとも言えないんじゃないか?と疑問に思うことが多々あります。

チョット前に「」と題して今日本は時代の大転換期にいるということをお話しました。今までの常識が非常識となり非常識なことが常識になったりするとも書きました。

こんな時代に同じことを「継続する」するということはどんな意味があるのか?これを思うとチョットぞっとします。当然ですが人は「常識」に思っていることを継続したりします。でもチョット立ち止まってみてください。その「常識」って本当に意味があるの?そしてその「常識」って生きていくために必要なの?そしてこれからの時代は「常識」だと思っていたことが「非常識」だよ?

そうやって考えると、今日本中で一生懸命に「継続」してがんばっていることは、実は無駄な努力ってこと?いや、無駄な努力で済んだらマシ。むしろどんどん悪い方向へ進んでいるんじゃないか?そう思うわけです。

原発の問題がいい例です。結論からいうと、原発なんかなくたって今の電力は維持できます。だから今ある原発を全て止めてもそんなに問題はない。(現にほとんど止まっている)止めている間にみんなで新しいエネルギー源を考えたらいいわけです。

がしかし、多くの人が今ある状態を何とか「継続」しようと動いている。これが今の社会情勢です。「継続する」ということは「正しいこと」であるという社会的常識のもと、人は盲目的に「継続」することを追求する。それっておかしくないですか?ということなんです。

もちろん、じゃ〜なんでも全て「一旦停止」にしたらいいのか?というと、もちろんそういうわけでもない。やはり「継続」していくことはそれ自体大切なものだってあるわけです。

そう考えると、「続けるべきことはなにか?」「やめるべきことはなにか?」ということをしっかりと見ていく必要があると思うのです。

人が人間として生きていくことは、続けなければならないこと。でも「どう生きていくか?」ということは、色々と変えることができます。

今「生きることを追求する」ことはもちろん大切です。そしてもっと大切なことは「どう生きていくか?」ということ。今この考え方が様々な場面で問われていると思います。

そして、この問いが続き、様々なことについて一定の結論がでるまで、社会は混乱するでしょう。

だから個人個人も「生きることを追求する」ことと「どう生きていくか?」ということをしっかりと見つめて、社会の混乱に翻弄されないようにしないといけないと思っています。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。