河本さん母親生活保護受給問題について思うこと

社会的弱者の面倒を誰が見るのか?

これは社会を形成する我々人類にとって永遠のテーマだと私は思っています。と同時に、その課題に対する対処の仕方が

「社会の成熟度」

を現していると思っています。そんな意味で、今回の「河本さん母親生活保護受給問題」は非常に重要な意味を持つ出来事だったと思っています。

今回の問題は「河本さんのような一定以上収入のある人の親族が生活保護の受給を受けていた」ということです。ことの発端は某週刊誌が匿名でこの事態を暴露。そこに自民党議員がそれを追求。ネットの世界でも話題になり、今回の河本さんの謝罪会見という流れになりました。

このことに対しての反応は様々で、

「この、税金ドロボー、税金返せ!!」
「俺はお前の収入の10分の1なのに、家族を養っているぞ!」
「吉本はほかに同様な芸人を多数抱えているから、河本一人の問題にして、逃げ切りをはかったな!」
生活保護受給の条件をもっと厳しくすべし。」
「法律を改正すべし」

などなど。

で、結論から言いますとこの問題は法律的には「不正受給に当たらない」わけです。これは「小沢政治資金疑惑」と同じで、法律的には違法ではないということと同じです。だから法律を改正せよという意見が多数でていますが、それは「場当たり的意見」だと私は思います。なぜならばそこには「問題の対処」しかなく、「理念」がまったくないからです。

問題は法律的というよりも、同義的、倫理的問題ということがいえます。
条件からいえば、河本さんの母親は体が不自由となり、日常生活を起こることに支障がでるくらいの障害だったことは事実です。で、周りの人に扶養してもらえるか?確認をとり、当時は扶養できなかった。で、今は扶養ができそうだ。ただそれだけです。

がしかし、なぜこのことがこんなにも「大きな事件のように」扱われるようになったのか?ココには明らかに「裏」があると疑ったほうがよいと思うのです。つまりどこかの誰かがなんらかの「意図」があって大問題に仕立て上げた。ようはそういうことです。

ではそのどこの誰かはどのような意図を持っているのか?私が思うにそれは、

「親の面倒は子がみることを義務化すること」

だと思います。

今日本は非常に猛烈な勢いで「高齢化社会」を迎えようとしています。と同時に、年金、高齢者医療の費用は今後どんどんかさんでいくことは明白です。で政府はそれに備えて「消費税増税をお願いします」といっているわけです。がしかし、同時にわかっていることは「消費税を10%にしてもとてもではないが費用が足りない」ということです。

そこで政府は考えたわけです。「そうだ、親の面倒は子が見ることを義務化したらコストを抑えられる」と。で、今回の問題を「大事件」にして社会的合意を暗にとってしまおうとしたわけです。(あくまで想像するにですが。。。)

Always三丁目の夕日の世界じゃないですが、確かにあのころ日本は幸せだった(といってもその時代に私は生きてはいませんが)のかもしれません。そうやって家族が助け合って生活していたころのように、これからの日本は家族で助け合っていくべきだ、もう一度絆を取り戻すべきだ。大いに結構。

がしかし、そういった大きな「理念」や「想い」がないなかで、ただ「親の面倒は子がみること」となし崩し的にしてしまうのはどうだろうか?と私は思うのです。私は別に親の面倒は絶対に見たくないといっているわけではありません。そうではなくと、そもそもこの日本という社会をどのような方向へ進めるのかといった「理念が欠如」していることが問題だと言っているのです。その理念が固まり、方法論として「親の面倒は子供がみること」と決まったのでればそれはそれでよいと思っています。

理念なき場当たり主義は結局なんの解決にもならない

不正受給がよい、悪いではなく、この日本という国をどのような形にしていきたいのか?
今このような対極的な考えが求められているのではないでしょうか。

本日も長文にお付き合いいただき、ありがとうございます。