トンビ

ロイズのチョコレート ⇒ トンビ

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「トンビが鷹を産む」


ことわざの意味としては「平凡な親から優れた子供が産まれること」という意味だが、よく聞く言葉ですよね。がしかし、この逆の意味をあらわす慣用句は?と聞かれるとコレがなかなかに難しい。

「平凡な親から優れた子供が産まれること」 ⇔ 「凡人の子供は凡人」 ⇒ 「蛙の子は蛙」

となるようです。は〜なるほど、わかりますよ、わかります。がしかし、「トンビが鷹を産む」の反対の意味と聞かれると、「凡人の子供は凡人」ではなく、「優秀な親からおバカな子供が産まれる」という意味を連想されることでしょう。では、その「優秀な親からおバカな子供が産まれる」という意味の慣用句は?というと。。。

「コレがない」


らしいのです。辞書をひっくり返して色々と探してみて、最後には広辞苑まで調べてみたのですが、ないのです。
もしご存知の方いましたら教えてください。


さて、「トンビが鷹を産む」という慣用句がなぜよく使われるかというと、「そんな例があまりないから」だと思います。ようは大多数が「蛙の子は蛙」で、まぁ大体に親子似たりよったりなのだが、たまーに、ごくまれに「親よりあきらかに優秀な子供」というもの現れたときにそれをうまく現す表現として「トンビが鷹を産む」ということが使われるようになったものだと推測されます。

さて、前提として「親より明らかに優秀な子供の例」というものが「あまり例がない」と書かせていただきましたが、はたしてそうなのでしょうか。また仮にそうだとして、ではなぜそうなのか?疑問はどんどん膨らみます。


こういう問いを立てるときに真正面から考えても答えはでなかったりします。こういうときは周りから形にしていくという方法が非常に有効です。で考えると、「そもそもトンビが鷹を産んだと誰がいいますか?」という質問が非常におもしろいのではないでしょうか。

子供が自分のことを優秀だと思い「お母さん、ボク優秀だよね、ホントトンビが鷹を産んだんだね〜」といっている5〜9歳くらいの子供であれば、かわいいものだなぁ〜と思いますが、これがもう少し大きくなると、ただのバカか間接的に親に皮肉を浴びせているかのどちらかです。つまりこの言葉を使うのは子供側ではありません。

では親はどうか?親がわが子を見てその優秀さにまゆを細め、心の中で「トンビが鷹を産んだのかしら〜」なんて思うことはあるかもしれませんが、あまり他人とのコミュニケーションには使わない言葉でしょう。もしママ友達にその話をしたら、「親バカ」ととらえられる可能性もあり、かといって自ら自己を卑下して相手を間接的に高めるためのスタンスとして用いたりもするが、これもあまり一般的ではないでしょう。(EX:うちはホラバカでしょう。あの子は私からみたらトンビが鷹を産むだけれどお宅の子にはくらべものにならないわ〜(そしてそんなあなたは優秀ですね〜優秀な親のこはやっぱり優秀だと暗に意味している)

とすると誰が言うのか?
必然的に、それは当該親子を両方とも知っている第三者がいうことになりますよね。そしてその第三者は多くは対象の親と同世代かそれより上の人たちだと想定できます。(もし年下なら、対象の親をバカにしていると思われる可能性があるため)つまり「この子は親より優秀だなぁ〜」と思う人たちは、対象の親と同世代かそれよりも上の世代なのです。言ってしまえば体制派なわけです。


話は少しズレるのですが、Appleの創業者スティーブ・ジョブズというひとがいました。社会に数々の変革をもたらすような商品を次々と産みだし、Appleを世界的企業に育てたまさにその人です。ジョブズについてお話するとき様々な逸話があり、ポジティブ、ネガティブにとらえられることもありますが、「ジョブズ=傑出した人物」だという前提は了解が得られていることは間違いありません。


そんな傑出した人物であるジョブズ
さて、ジョブズに対して「トンビが鷹を産んだ」という言葉を使いますか?

。。。使いませんよね。絶対に。

実はここにこの「トンビが鷹を産む」という言葉の秘密、そして、その事例が少ないといわれる秘密が隠されているのです。


トンビが鷹を産むという言葉を使う人は「親と同世代かそれより上の世代」、言ってしまえば体制派だったりします。なんだか難しい言葉ですが、今の社会の常識を作っている人たちだと言ってしまえばわかるでしょう。この人たちの常識がそのまま社会の常識なわけです。当然彼らの「優秀」という言葉には彼らが「優秀だと思っている」ことが「優秀」なわけです。

ということは、「親」が思っている「優秀」な成果を出して初めて「トンビが鷹を産む」の事例になるというわけです。「親たちの価値観、しいていは今の社会の支配的な価値観において親より優秀と思われる成果をだした事例」で初めて使われる言葉なのです。(例:親が国家官僚で子供が官僚のトップの事務次官になる、親が中小企業のサラリーマンで子供が大企業のサラリーマン etc・・・)

がしかし、この言葉よく考えてみると理不尽ですよね。というのも、親たちの価値観と子供たちの価値観は必ず異なるわけだからです。今の社会を支配する価値観が親たちの価値観だとするならば、これからの社会の価値観は子供たちの中にあるのです。そして不幸なことに子供たちの新しい価値観は親たちには「まったく」理解できなかったりします。わからないものはわからないのです。まぁわかろうと努力もしませんし、わかることができす経験と能力がないからです。

そのため、次の社会の価値観で優秀な子供が仮にいたとしても、親はその優秀さに気付かない。。。ホントは「トンビが鷹を産む」の事例はそこらじゅうに転がっているいるのに、それが優秀だとわからない。だから「トンビ」の事例は少ないのです。ジョブズが「鷹」の例にならないのは、このことからも明らかです。なんだかスゴそうな人だが、何がスゴイのか、そのスゴさがわからないのです。


というわけで、「トンビが鷹を産む」という言葉について書かせていただきましたが、よくよく考えてみると、次の社会の価値観がわかっているということは、それにいち早く順応できるのは若者だということ。そういう意味で子供は優秀に決まっているのです。


ああ、なるほど、だから「トンビが鷹を産む」の反対語がないんだとわかりました。

だって親より子供がおバカなんてことは長々考察してきて明らかだから(笑)
というわけで、

若者よ自身を持て!