組織は自己目的化する


皆さん、こんにちは。くぼみちです。


先日「平田容疑者出頭を考察してみた」


・今回の出頭では特に新しい情報を恐らくないだろう
・なぜ騒いでいるかというと、警察組織が何とかして「国松長官事件⇒オウムの仕業」とつなげたいため


ということをお話しました。


特に2番目のことは、もし国松長官事件とオウムが繋がらなかったとしたら、警察の初動から今までの一連の捜査が全て間違いだったということを証明することとなり、それこそ警察組織の存在そのもの脅かすことになるでしょう。


つまり、警察組織は何が何でも「国松長官事件⇒オウムの仕業」と結び付けたいわけです。
本来は事実からシナリオを作っていくはずが、いつの間にか「シナリオありき」となっているわけです。


端から見ると「チョットおかしいんじゃないの?」と思うことが、組織ではさらっと起こるものですね。


さて、上記はあくまで一つの事例ですが、警察組織に関わらず


全ての組織は「自己目的化する」恐れがある
ということをあらわしているのではないでしょうか。


元々組織というものは、特定の目的のために人、モノ、金、情報を集めて、ある一定の規模で効率的に行うことを志向しています。


が、組織が出来上がって長い時間がたつと、当初も目的から大きくはずれ、自分達組織が存在すること「自体」が目的となってしまうことがあります。そんな組織は当初の目的からはずれ、組織を維持するために自己保身に流れていきます。


実は今の日本の組織はほとんどが「自己目的化」してしまって、機能不全に陥っています。
景気がよくならんな〜とか、いまいち最近の日本企業は元気がないなぁ〜といわれていますが、根本の問題は全て「組織の自己目的化」に集約されます。


で、この傾向は組織の構成員の年齢によってはっきりと出てきます。
年齢が高齢になるほど「自己目的化・自己保身」が強くなるわけです。当たり前といえば当たり前ですが。


日本が高齢化社会になるということはつまりは「自己目的化」自己保身」社会だといっても過言ではないのです。確かに個人で考えてみれば50歳を超えて、まったく新しいことをやれといわれても中々に厳しいということはわかるような気がします。


が、しかし人口構成比で多くを占める層が「自己目的化・自己保身」に走る社会ってどんな社会でしょうか?とてつもなく危ない社会だと思いませんか?今あるものにすがり、しがみつく。それが社会の多数派を占めてしまう。そんな国にどんな未来が待ち受けているのでしょうか?これが今の若者の間でなんとなくどうにもならないという「感覚」につながっているのではと私は思います。


(若者はやる気がないのではなく、事実を直感で理解してしまっているのです。そして社会はその多数派が消えるまで解決しないということも。これでは何もやる気が起こらなくても仕方がないですよね〜?)


組織が「自己目的化」しないためにはやはり、


「当初の組織の目的(別名ビジョンなんていいますが)をことあるごとに思い出す」
「今やっていることが当初の目的にかなっているか?常に心がける」


ということでしょうか。当たり前といえば当たり前ですが、このことを一つ一つの組織が行うことによって少しずつ社会を変えていく。このことが遠回りのようで一番近道なのではと思います。


本日もお付き合いいただきましてありがとうございました。