これから時代はどう変化していくのか?


皆さん、こんにちは。くぼみちです。


実は今まで出会った人には都度お話させていただいていましたが、これではどうにもこうにも間に合わない、沢山の人にお話したくて、でもどうしていいかわからなかったのでBlogに書いてしまおうと思っています。この文章を一人でも多くの方に読んでいただき、一人でもこの時代の転換点をよりよく生きて欲しい、そう思っています。


というのも、この2012年という年は2015年以降の新しい時代にむけて最後の準備をする年であり、一つの時代が終わりもう一つの時代が始まる年だからです。


歴史を紐解くと、歴史の大転換期には非常に激しい変化がともないます。そして、当然ですが痛みがともなうことも歴史が教えてくれます。


私はそんな痛みをたくさんの方に感じて欲しくない、スムーズにこの時代を乗り越え次のステキな時代を迎えて欲しい、そう思い今日文章を書いている次第です。


さて、近代日本史を振り返ってみると、日本という国はそんな時代の大転換期を2回迎えて、その都度乗り越えてきました。


一つは明治維新であり、もう一つは第二次世界大戦です。そして、今度の大転換期は恐らく2015年前後だと私は思っています。(根拠はありますが、今回は主題と外れるので割愛します)


つまりは今が、まさに明治維新第二次世界大戦と同等の時代の大きな変化の真っ只中なのです。上記二つと同じくらいの大きな変化です!
色々と「?」があるかと思いますが、まずは「大きな変化が起こるんだ〜」ということを心に留めて続きを読んでください。


明治維新第二次世界大戦と歴史を紐解くと、共通することが何点か見つけることが出来ます。その中でも一番の大きいなことは、


その歴史の転換点の前と後では文化的、価値観的断絶がある


ということです。もう少し簡単に言ってみると、


今までの常識が非常識であり、今までの非常識が常識になる


ということなのです。


江戸時代は武士の時代であり、徳川幕府が社会を支配していて、武士の時代であり、武士がちょんまげをつけることは誰しもが「当たり前」と思っていました。がしかし明治維新以後ちょんまげをつけていること自体が「非常識」となりました。これが100年単位くらいでくれば時代が徐々に変っていくのであれば、


「わたしもそろそろちょんまげをやめようかなぁ〜」


とか、


「いんや、わしはこのままちょんまげをつけて生き続ける!」


とか出来るのですが、実際はどうだったでしょうか?


ほんの数年で一気にちょんまげがこの世からなくなってしまったことは皆さんご存知ですよね。


そう、時代の大転換期には、人を時代が待ってくれず、容赦なく変化していきます。当然ですが、今までの常識にとらわれてしまうと、どんどん時代に取り残されてしまうのです。。


えっ、じゃ〜何?2015年以降、今までの常識が非常識になり、非常識が常識になるってこと?で、その常識と非常識って何なの?


という声が聞こえてきそうですが、コレも歴史を振り返るとヒントになることがころがっています。


幕末時、多くの人が江戸幕府がつぶれてこの世から消え去るなんて思ってもいなかったはずです。がしかしその当時の志士は、このままでは日本が他国の植民地になってしまう。日本を守るためには「欧米に負けないような近代国家に生まれ変わる」必要がある。そう考え、活躍した結果が明治維新であり、その明治維新の成果が経済、政治の近代化、そして日清戦争日露戦争の勝利に繋がっていくのです。


第二次世界大戦後も、焼け野原のなか、まったくモノのない時代に、当時の若者が、「こんな貧しい生活は嫌だ。もっともっと豊かな国をつくってやる!」と考え活躍した結果
が、戦後の経済発展であり、世界第二位の経済大国としての日本を形づくることとなったのです。でもその当時、焼け野原を見てどれだけの人が経済大国になった日本を想像できたでしょうか。


両時代も共通することは、その時代の常識にたいして、当時の若者(30代前後)が当時の非常識であった価値観をもち、その後その価値観が主流の時代がつくられるということです。


若者が新しい価値観をもったから時代が変ったのか、それとも時代が変ったから、若者の価値観が変ったのか、鶏が先か卵か先かということはこの際おいておいて、時代の大転換期を読み、今後の時代がどんな時代になるか予測するためには、現代の若者の価値観に注目し、現在の常識から考えるとこりゃ〜非常識じゃないかなぁ〜というものに注目することが重要だと思います。


では現在の常識は何で、次の時代の常識は何でしょう?


ココからはあくまで私の推論なので、そのことを承知いただきお読みいただければ幸いです。


私が考えるに、


今までの常識


「より多く、よりよく、より高機能」という物質的豊かさを追求すること


今後の常識は


「つながり、絆、やりがい」といった精神的豊かさを追求すること


だと考えています。


よく最近の若者はやる気がなくて困る。もっともっとガツガツ働いて欲しいものだ。といった年配の方のお話を聴きます。がしかし、上記のように歴史の大転換点ということを念頭に考えると、その見方は少々時代遅れだといわざるを得ません。


今までの常識ではより多く、よりよくしていく積上げ型の考え方をよしとされてきましたが、今の若者の常識は「つながり、絆、やりがい」なので、売上げを上がればよいというものではなく、むしろ誰と仕事するか、どんなことを仕事とするか、そこにやりがいがあるかという基準で仕事をしているのです。ただやる気がないわけではなく、ソコに価値観の断絶があるに過ぎないのです。


そしてココで思い出して欲しいのですが、時代の大転換期において次の時代の価値観のヒントは「若者」にあり、「若者の価値観」だったということを。年配の方には申し訳ないのですが、今までの成功体験や常識はたとえるならば、江戸時代のちょんまげであり、そうそうに役に立たなくなってしまうのです。


逆に、ちゃんまげにとらわれて自ら変ることができない人は、時代の大きなうねりに飲み込まれてしまうことでしょう。何度もお話しますが、私はそういう人を一人でも多く助けたいと思ってこの文章を書いています。


そうやって考えると、積上げ型の極みが今の資本主義社会であり、資本主義的な企業集団であり、市場であったりするわけで、大胆に予測すると、そういったものの存在も少々怪しくなってきます。


ちょっと大げさかもしれませんが、金融市場も吹っ飛び、経済は一時的にマヒし、もしかすると今常識である「お金」というものもなくなってしまうかもしれません。


どんどん拡大し、大きくなって行くことがよしとされる企業においては、小さく小回りが利く組織のほうがよくなるかもしれません。今一番遅れていると考えられている産業=農業が実は最先端になったりするかもしれないのです。


また、ゆっくりとソフトランディングして変化するかもしれませんが、今までの常識がいっぺんに吹っ飛ぶ天災なんてこともあるかもしれません(今回の東日本大震災がいい例だと思います)


上記が私が予想する未来の姿です。ココまで読まれてきていかがでしょうか。
とんでもない時代が来ると思ったかたもいるでしょう。またいよいよ素晴らしい時代の幕開けだと感じたかたもいらっしゃったでしょう。


それは人それぞれですが、私が思うに先のことがある程度わかっていると、何はともあれ「心の準備」ができるのではないかと思います。


何が起こっても「心の準備」があれば、ある程度冷静に対処し、その中で自分の考え方を変えていき、時代に合わせて生き方を変えていくこのことができるではないでしょうか。(実は本日一番伝えたかったことはココだったりします。)


以上を踏まえて次回は2012年という年がどんな年で、どんなことを意識していけばよりよく生きていくことができるか続けていきたいと思っています。


長文お読みいただきましてありがとうございます。