戦略の前の「ビジョン」がすべてに優先する


皆さんこんにちは。くぼみちです。

前回『戦略を立て実行することはいいことなんだが。。。』と題して、

「戦略」という言葉が「生き残ること」が目的となっていること、

そして、本来は別に目的(言い換えると使命)があるはずなのに、
「生き残ること」それ自体が目的になってしまっていること。(手段の目的化)

使命がない組織は、存在理由がないため、遅かれ早かれ内部から崩壊していく

ということをお話させていただきました。その上であえて

「戦略の前に大切なことあるでしょ?それ忘れてませんかね?」

とあえて疑問を投げかけさせていただきました。

実はここに今の日本の最大の問題点が現れていると思います。それは

「戦略の前に、どう在りたいか?といった使命、そしてビジョンがない」

こと、そして

「どう在りたいかという軸がないため、戦略は場当たり的になり、日々の変化に翻弄されてしまう」

ことだと私は考えています。

戦後の日本は一面焼け野原の世界から、欧米に追いつけ、追い越せと厳しい状況においても我慢し、技術を磨き、国を豊かにしてきました。そのときは明確に「欧米に追いつけ、追い越せ」というビジョンがありました。(このビジョンがいいかわるいかはここではおいておきます。こんなのビジョンじゃないという見方もありますが、なんにせよはっきりとした共通認識があったということは事実であろうと)
戦争に負けて、このまま負けっぱなしでよいわけがない、いまに見てろ〜という反骨精神も大いに役立ったと思います。

この状況において「戦略」も非常にわかりやすいものとなっていました。ようは「欧米に追いついて追い越すためにはどうすればよいか?」と問いを立てやすいわけであり、そのためにたとえば、「ひとつのカテゴリーに集中投資して、競争力を高める(選択と集中)」だとか「品質で他国を凌駕する」だとか「価格で勝負する」とかいろいろと出てくるわけです。

がしかし、80年代を迎えると様相は一変してしまいます。
なんと日本は世界第2位の経済大国になってしまったのです。そして世界第1位のアメリカをも部分部分では凌駕するような社会を築くことができたのです。見事ビジョンを実現させたというわけで、これはこれでとても凄いことです。

がしかし、それとともに日本は「目標」を見失うことになります。今までが欧米に追いつけ、追い越せだったのが、追い越してしまった。なので、何をやっていいかわからなくなってしまったのです。前にもチョットお話させていただきましたが、組織は「あり方」や「ビジョン」がなくなると自分たちの存在意義がなくなってしまって、内部から崩壊してしまうのですが、まさに日本がそんな状況になってしまったわけです。

こんな状況で戦略を考えるとどうなるか?まず以前と違うことは、「ビジョンがないので軸がない。なのではっきりした問いが立てられない」という状況に陥ります。「なんだか最近韓国が猛烈に追い上げてきているな〜対策しなければ」「中国はどうする?相当安くできるらしい。どうしよう?」「この先はインドかな〜」と一つ一つの出来事に対して流され、どうしても場当たり的な対応をせざるをえません。

なぜ日本長い不況から抜け出せないのか?なぜ豊かなはずなのにこんなにも閉塞感が漂っているのか?
そのすべての答えはここにあります。つまり「新しい時代の、新しいビジョンや使命がない」のです。「新しい時代の、新しいビジョンや使命がない」からこそ、今日本は何をしてよいのかわからない、でも何かしないとどんどん悪くなる一方だ。八方塞になっているのです。

思うに、ビジョンと言うものは誰からか与えられるものではなく、自ら決めることだと思います。
そこには何の根拠もありません。でもこういう世界を創っていきたい!こう生きていく!と決めることです。
今までの日本は、どうしてもよそ様から借りてきたもので、さも自分の考えのように乗り切ってきましたが、もうそうやって行き続けることにも限界がきているのが今の日本なのです。

自ら考え、自ら行動を起こすこと。
周りにあわせるのではなく、自分がこうありたいと決め、自ら発信すること。
そして、エゴではなく、すべてに国から「なるほど」と思われるような理念を打ち立てること。
今の日本に必要なことをこれだと思います。

そんな強いビジョンがあってこそ戦略は活きてくると思います。

戦略はビジョンに従う

私の先輩が私に残してくれた言葉です。

本日も長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。


今回は誰も答えを教えてくれません。なぜならば先ほどもお話したとおり、日本がトップランナーになってしまったからです。だからこそ、このBlogが新しい時代の新しいビジョンを考えるきっかけとなったらと思い書き続けています。