パートナーはたった一人でいいわけで。。。

みなさんこんにちは、くぼみちです。
前回はチョット婚活で思うところがあったので、『婚活に潜む深層心理に気づくと結婚が近づく(かな?)』と題して書かせていただきました。

で、またまた婚活について書きたくなっちゃいましたので書かせていただきます。

巷ではこぞって「婚活」「婚活」と騒がれていますが、どうも既存の社会の考え方を反映しているように思うのです。

「ターゲットは?」
「そのためのどのようにアプローチするか?」
「モテる男子はこうだ!」
「モテ女子のファッションはこれ!」

私はこういったものを見かけるとなんだか残念になっていきます。

チョット前に「戦略シリーズ」と題して書かせていただきましたが、なんだか「婚活」も戦略を立てておこなうべしみたいな風潮になってきているように思います。がしかし、パートナーと一緒になるために本当にそんなことしないといけないのでしょうか?また、本当にそんな戦略的におこなって最高のパートナーに出会えるのでしょうか?私ははなはだ疑問に思うわけです。

婚活がいい、悪いというわけではないのですが、どうもそこには何か「違和感」を感じます。

一般的にって、社会通念(言ってしまえば社会全体が信じていること)がその他全てのものに現れてくると言われています。
たとえば、「自由」が尊重される社会であれば、就職も就職する側される側の自由意志で行われるべし。野球のドラフトは職業選択の自由がなくてかわいそうだという職業選択の自由であったりと、ありとあらゆる部分で社会通念が適用されます。

で、今の社会の根底にある通念は「競争」というものです。
「競争」という概念は古くはアダムスミスの時代から言われていますが、一般的に言われていることとして「自由に競争をさせておけばより優秀なものが生き残り、社会全体が発展していく」ということです。この裏には「優秀でないものは滅びていく」ということが前提にあります。

で、社会全体として「競争=善」とされ、全ての出来事が「競争=善」という前提から物事が発想されていることになります。
そして、本来結婚というものは「競争」という概念とは相容れないと誰しもわかっているにも関わらず、どうしてもこの「競争=善」という考え方から抜け出せていない、これが現在の婚活ブームの正体です。

結婚とは、顔がいい、背が高い、スタイルがいい、収入が高い、学歴が高い、長男以外(これはよく聞く)といった条件の人をターゲットにして、より条件に合致する人を狙う、そしてその人たちが好みそうな自分を作り上げるといったものではありません。

自分が自分で一番いられて、お互い高めあい、励ましあい、喜びは二人で倍にして、悲しみは二人で分かち合い半分にする、そんなパートナーと日々を過ごしていくプロセスなのです。

そして、そんな相手は世界中で1人でいいわけです
地球上に60億人の人がいて、男女比半々として考えて30億人いるわけですが、その中のたった一人でよいのです。

で、おもしろいのですが、そうやって何だ、無理して探さなくてもいいんだぁ〜、と思うと、
意外とに自分の近くにそんな人がいたなぁ〜ってなるから不思議です。


というわけで、本日も長文お読みいただき、ありがとうございました。