とどのつまり。。。
「いや、だからさ〜とどのつまり。。。」
って言葉が私の口癖だったりします。同じ言葉で、「ようは〜」って言葉もよく使う(笑)なんだか説明したがりなんですよね私って。で、知っていることはどんどん外に出していきたい、そうも思っています。
がしかし、子供のころはこんな子がいたら、きっと子供としてかわいくなかったんだろうなぁ〜と思います。確かに小学校時代は浮いていたと思います。何でも説明したがるわけですから、まだまだ論理より感性が優勢な子供にあっては、めんどくさい存在なんでしょう。「えっ、なんでそうなの?」「なんでそう感じるの?」「いや、それは違うよ」とか言っちゃっていたわけです。そりゃ〜嫌われますよ。子供にとって「嫌なものは嫌」でありそこに理由なんかありゃしないわけですからね〜(笑)
そんなこどもだった私も、大人になるにつれてそういった自分の特徴を封印するようになりました。よく言えば「社会性」がついてきたということですが、個性が消えてしまった状態でもあります。
さて、これはあくまで私の一例ですが、似たようなこと皆さんにもありませんか?
子供のころ特に意識することなく「できた」ことがあだになって痛い目にあい、結果その才能を封印してしまったということはよくあることです。で、なんだかその才能があるから悪いことが起こったんじゃないかと「罪悪感」なんかもってしまったりなんてこともあります。
おまけに日本の教育は「個性を伸ばす」方向ではなく、「欠点を直す」方向性にばかり力が入ってしまって、どんどん同じような人間ばかり大量生産をしてしまうわけですからなおさらです。(社会でも意外と個性の強い人間が求められていないのも実情だったりします)
で、これって私は「社会的損失」だと思うのです。もし今隠されているステキな才能をそれぞれが発揮できたら、どんな社会になるだろうか?私はそう思うわけです。
人は人それぞれであってよい。
その人が、その人らしく輝くことができたのであれば、もっともっとステキな社会になるんじゃないかと。
願わくば、そうやってその人の才能を思う存分に発揮できる「社会的制度」が整備されたらなぁ〜と感じるわけです。