ビール


トンビ ⇒ ビール

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先日久しぶりに父と食事を一緒にしました。なんというかテレくさいものですが、こうやって大人になって父親と一緒にお酒が飲めることっていいですよね。なんだか幸せを感じます。

父親は私が生まれたときから、私が大人になって一緒に酒が飲めるようになるまで元気でいようと心に決めていたそうな。まぁそういう話を自分からはしませんが、母親からきかされていました。まぁ、幸せものです父も、私も。一回だけではなく、もう浴びるほど一緒に飲んでいますから(爆)夢って意外とあっさりかなうんですね〜(笑)


さてさて、感動のお話はコレくらいにしておいて、本題です。一緒に食事に行ったそのときのことです。まぁまずはビールで乾杯!!と思って注文しようとしたら店員が

「ビールはアサヒのドライ、キリンのラガーがございますがいかがいたしましょうか?」

「そりゃ〜ドライでしょ!!」って言おうとしていた私よりほんのチョット早く父が「じゃ、ラガーで」と言っちゃうわけです。

「ん、ラガー??まぁ、そんなに銘柄にはこだわらないし、結局ビールの味なんてほとんど変わらないのでどっちでもいいかぁ〜。。。」

。。いいんだけどなぜか釈然としない私。


仕事の後は断然、爽快感を味わいたい!!!
それにはアサヒのドライだ!!


なんだかよくわからないのですが、私にはそんな勝手な思いがありました。私にとってビール=「達成感、爽快感」といったところでしょうか。チョット暑かったという天候の影響もありますが、とにかく「爽快感」が欲しかったのです。


ともあれ、上記心の声は拡声器でだいぶ大きな声にして表現してみたもので、実際はそれほどこだわっていなかったので(←どっちやなねん!!)ラガーでもいいか〜と自分で自分を納得させていざ乾杯!!すると。。。。

「ふぅ〜」

という声が出たわけです。最初の一杯で。ん、なんだか不思議な感じだ。というのも私のビールの一口目の味はというと、


「ぷはぁ↑↑〜〜〜〜!!!!!(アゲアゲな感じ)」


なんです。のどごしにキレなんです、それがそうではなく、「ふぅ〜」って落ち着いちゃう、いやなんだかほっとする感じなんです。なんだか新しい感覚に新鮮さを感じていると父がこんなことを言いました。


「なんだか、最近ビールを飲むと落ち着くんだよ。なんつーか、「解放」されるというかね」


。。。その言葉をきいた瞬間、ものすごく昔のことを思い出しました。


あれはまだ私が小学生で、父がまだ30代だったころ。。

「いや〜今日もガッツリ働いたぞ〜さぁ〜飯だ!!」っといっていた父の右手には「ドライ」がありました。

そうだったのです。父も昔は「ドライ派」だったはず。だから私もドライ!ってワケではないのですが、少なくとも影響を受けているわけです。そんな父がいまや「ラガー派」に。なんだか感慨深いものがあります。


父は若いころ仕事が好きだった。まぁ今も好きだと思うが、それこそやりたいようにやらせてくれる環境で、周りの人にも恵まれていて充実していたことは、子供ながらに感じるものがありました。そんな父をみて、私もイキイキと仕事をできるようになりたいものだと思ったものです。

そんな父も経験をつみ、グループの責任者、部門の責任者となっていって自分一人がよければいいとは言えない「立場」なっていったのでしょう。そんな責任を日々感じながら仕事をしていると、当然なんともいえない「憤り」があったり、ときには部下に厳しいことも言わなくてはいけなかったり、つらいことも色々あるのでしょう。

でも、そんないいことも、つらいことも全て自分でしまいこんで、多くを語らず、愚痴も言わず、明日もまた何事もなく生きていく。仕事をしていく。与えられた役割を全うしていく。「責任」なんて一言で言ってしまったら軽く感じるくらいの「重み」を最近感じます。

そんな父がほんの一瞬だけ「責任」を小脇においておいて、素の自分を出せる瞬間
それが「ラガー」が飲んでいるこの今なんだなぁ〜としみじみ思うのでした。

ラガーがうまいと思える男。それは人生のよいも悪いも引き受けて、それでも一歩一歩確実に進み続ける男。大きな困難にも臆せずでも力まずただただ「まっとうする」ある意味で全て責任を引き受ける男。そんな男にのみ味わえる味。それがラガーか!

まだまだ私はその域には達していないなぁ〜と
追いついた、もしかするともう追い越したなんて思っていた父の背中がとっても遠くに感じました。

そしてそんな父の背中をしっかりと焼き付けよう。
この背中を忘れないようにしよう。
そしていつか自分にも息子ができたら見せてあげたい。この背中を。

と私もラガーをチビリとやるのでした。。。







な〜んてそんないい話は最初の一杯だけで、後はいつものように二人の大好物の「日本酒」を浴びるように飲み、ベロベロに酔っ払った二人でした。。
ベロベロな父と私の会話

「日本酒は奥が深いぞ!!」

って、おい!ここまで話を引っ張って日本酒かいっ!!!

トンビ

ロイズのチョコレート ⇒ トンビ

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「トンビが鷹を産む」


ことわざの意味としては「平凡な親から優れた子供が産まれること」という意味だが、よく聞く言葉ですよね。がしかし、この逆の意味をあらわす慣用句は?と聞かれるとコレがなかなかに難しい。

「平凡な親から優れた子供が産まれること」 ⇔ 「凡人の子供は凡人」 ⇒ 「蛙の子は蛙」

となるようです。は〜なるほど、わかりますよ、わかります。がしかし、「トンビが鷹を産む」の反対の意味と聞かれると、「凡人の子供は凡人」ではなく、「優秀な親からおバカな子供が産まれる」という意味を連想されることでしょう。では、その「優秀な親からおバカな子供が産まれる」という意味の慣用句は?というと。。。

「コレがない」


らしいのです。辞書をひっくり返して色々と探してみて、最後には広辞苑まで調べてみたのですが、ないのです。
もしご存知の方いましたら教えてください。


さて、「トンビが鷹を産む」という慣用句がなぜよく使われるかというと、「そんな例があまりないから」だと思います。ようは大多数が「蛙の子は蛙」で、まぁ大体に親子似たりよったりなのだが、たまーに、ごくまれに「親よりあきらかに優秀な子供」というもの現れたときにそれをうまく現す表現として「トンビが鷹を産む」ということが使われるようになったものだと推測されます。

さて、前提として「親より明らかに優秀な子供の例」というものが「あまり例がない」と書かせていただきましたが、はたしてそうなのでしょうか。また仮にそうだとして、ではなぜそうなのか?疑問はどんどん膨らみます。


こういう問いを立てるときに真正面から考えても答えはでなかったりします。こういうときは周りから形にしていくという方法が非常に有効です。で考えると、「そもそもトンビが鷹を産んだと誰がいいますか?」という質問が非常におもしろいのではないでしょうか。

子供が自分のことを優秀だと思い「お母さん、ボク優秀だよね、ホントトンビが鷹を産んだんだね〜」といっている5〜9歳くらいの子供であれば、かわいいものだなぁ〜と思いますが、これがもう少し大きくなると、ただのバカか間接的に親に皮肉を浴びせているかのどちらかです。つまりこの言葉を使うのは子供側ではありません。

では親はどうか?親がわが子を見てその優秀さにまゆを細め、心の中で「トンビが鷹を産んだのかしら〜」なんて思うことはあるかもしれませんが、あまり他人とのコミュニケーションには使わない言葉でしょう。もしママ友達にその話をしたら、「親バカ」ととらえられる可能性もあり、かといって自ら自己を卑下して相手を間接的に高めるためのスタンスとして用いたりもするが、これもあまり一般的ではないでしょう。(EX:うちはホラバカでしょう。あの子は私からみたらトンビが鷹を産むだけれどお宅の子にはくらべものにならないわ〜(そしてそんなあなたは優秀ですね〜優秀な親のこはやっぱり優秀だと暗に意味している)

とすると誰が言うのか?
必然的に、それは当該親子を両方とも知っている第三者がいうことになりますよね。そしてその第三者は多くは対象の親と同世代かそれより上の人たちだと想定できます。(もし年下なら、対象の親をバカにしていると思われる可能性があるため)つまり「この子は親より優秀だなぁ〜」と思う人たちは、対象の親と同世代かそれよりも上の世代なのです。言ってしまえば体制派なわけです。


話は少しズレるのですが、Appleの創業者スティーブ・ジョブズというひとがいました。社会に数々の変革をもたらすような商品を次々と産みだし、Appleを世界的企業に育てたまさにその人です。ジョブズについてお話するとき様々な逸話があり、ポジティブ、ネガティブにとらえられることもありますが、「ジョブズ=傑出した人物」だという前提は了解が得られていることは間違いありません。


そんな傑出した人物であるジョブズ
さて、ジョブズに対して「トンビが鷹を産んだ」という言葉を使いますか?

。。。使いませんよね。絶対に。

実はここにこの「トンビが鷹を産む」という言葉の秘密、そして、その事例が少ないといわれる秘密が隠されているのです。


トンビが鷹を産むという言葉を使う人は「親と同世代かそれより上の世代」、言ってしまえば体制派だったりします。なんだか難しい言葉ですが、今の社会の常識を作っている人たちだと言ってしまえばわかるでしょう。この人たちの常識がそのまま社会の常識なわけです。当然彼らの「優秀」という言葉には彼らが「優秀だと思っている」ことが「優秀」なわけです。

ということは、「親」が思っている「優秀」な成果を出して初めて「トンビが鷹を産む」の事例になるというわけです。「親たちの価値観、しいていは今の社会の支配的な価値観において親より優秀と思われる成果をだした事例」で初めて使われる言葉なのです。(例:親が国家官僚で子供が官僚のトップの事務次官になる、親が中小企業のサラリーマンで子供が大企業のサラリーマン etc・・・)

がしかし、この言葉よく考えてみると理不尽ですよね。というのも、親たちの価値観と子供たちの価値観は必ず異なるわけだからです。今の社会を支配する価値観が親たちの価値観だとするならば、これからの社会の価値観は子供たちの中にあるのです。そして不幸なことに子供たちの新しい価値観は親たちには「まったく」理解できなかったりします。わからないものはわからないのです。まぁわかろうと努力もしませんし、わかることができす経験と能力がないからです。

そのため、次の社会の価値観で優秀な子供が仮にいたとしても、親はその優秀さに気付かない。。。ホントは「トンビが鷹を産む」の事例はそこらじゅうに転がっているいるのに、それが優秀だとわからない。だから「トンビ」の事例は少ないのです。ジョブズが「鷹」の例にならないのは、このことからも明らかです。なんだかスゴそうな人だが、何がスゴイのか、そのスゴさがわからないのです。


というわけで、「トンビが鷹を産む」という言葉について書かせていただきましたが、よくよく考えてみると、次の社会の価値観がわかっているということは、それにいち早く順応できるのは若者だということ。そういう意味で子供は優秀に決まっているのです。


ああ、なるほど、だから「トンビが鷹を産む」の反対語がないんだとわかりました。

だって親より子供がおバカなんてことは長々考察してきて明らかだから(笑)
というわけで、

若者よ自身を持て!

ロイズのチョコレート


「ヒーロー」 ⇒ 「ロイズのチョコレート」

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北海道の三大土産物といえば、いわずと知れた

 白い恋人
 
 六花亭(のバターサンド)

 ROYCE(ロイス)

ですよね。この三つのお土産は共通するところが色々とありますが、一番の成功要因は、

「あくまで活動の中心を北海道としていること」

だと思います。だからこそ、北海道に行かないと買えない、食べれないという希少性が出きて「北海道のお土産」という地位を確実にできたのでしょう。北海道で知名率があがると、どうしても次は東京進出だ!とかいって欲が出てくるものですが、それら安っぽいブランドとえらい違いです。



さて、話は変わりますが北海道というエリアは非常に特殊な特徴を持っています。それは、

「道外からの観光客の8割以上が飛行機で北海道に入っていること」
平成21年度北海道観光入込客数調査参照

です。そしてその多くが「新千歳空港」を使って入ってきます。これは非常に特殊な事情と考えてよいでしょう。

例えば、東京で考えると、海外からは成田空港を使ってくるかもしれませんし、羽田空港かもしれません。もちろん地方からいらっしゃる方は、特急電車かもしれませんし、新幹線かもしれません。最近は長距離バスなんて方も増えています。こうして考えると北海道がいかに特殊な状況におかれているかということがお分かりいただけるかと思います。


世の中にはこういう特殊な状況というものをいち早く察知して、うまく使う人もいるものです。その中でも一番成功しているメーカーが「カルビー」だと思います。

これからお話する内容はあくまで私の推測です。まぁ妄想だと思って聞いてください。

カルビー社は当時大ヒットしていた「じゃがりこ」とは違うテイストの素材をつくることに成功したが、商品開発段階でテイストが異なれど、形状が似ているため、もしかするとじゃがりこカニバる(競合してしまう)可能性があるのではないか?と少々問題になったのではないか。そこで彼らは考えた。

新千歳空港」で北海道限定商品としてチョットためしてみる

ということを。そうして出来上がったのが、北海道=じゃがいもを連想させるような「じゃがポックル」商品でした。そして発売したところこれが飛ぶように売れる売れる。いまや北海道のお土産人気No.1とまで言われるようになりました。恐らく担当者は「いける!!」と思ったことでしょう。満を持してじゃがポックルの全国版といえるような「じゃがビー」を発売させたのではないでしょうか。この商品、ヒットしたことは皆さん知ってのとおりです。


いわゆる上記のようにチョット試してみることを、マーケティングの専門用語では「テストマーケティング」といいます。テストマーケティングといえば業界の常識で「静岡と広島でやる」と言われています。なぜ静岡と広島でテストマーケティングを行うかというと、「平均的な県」だからです。適度に都会もあり、適度に田舎もある。東の平均が静岡なら西の平均は広島。こんな理由からテストマーケティングの土地として長らく使われてきました。

私は静岡県出身なので、よく全国に先駆けて「限定商品」や「新商品」なんかが売り出されていることを知っていて、高校卒業して関西の大学に入学した際にコンビニで見かけた商品が「新商品」って書いてあったが、その一年前に同じものを静岡で食べたことを記憶に覚えているなんてことも経験しました。


翻って「新千歳空港

よくよく考えてみると、新千歳空港は全国各地から北海道に観光にくるお客さんでいつもいつもいっぱいです。長距離異動の観光客はお土産を旅行の途中で買うと荷物になってしまうので、最後の最後、空港で買うということが多い。とすると、多くの観光客が新千歳空港でお土産を買うわけです。しかも全国各地から様々な嗜好(志向)をもった人が集まってきています。ようは日本の縮図なわけです。

コレって絶好のテストマーケティングの場じゃないですか?

しかも、コストは静岡や広島なんかでやるやりはるかにかからない。何せお土産屋はあっても数十店程度、そこに卸すだけで問題ないからです。一人の営業マンで事足ります。しかも空港のお土産屋にいれば、じかにお客さんの反応も見れる。コレはすばらしいことです。


というわけで、私より提言です。あえて言わせていただきます。


全てのマーケティング担当者の方、新千歳空港は狙い目ですよ〜(笑)

ヒーロー


「スターバックスコーヒー」 ⇒ 「ヒーロー」

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「ヒーローはいつも遅れてやってくる」」


よくこんなことが言われます。確かにヒーローモノのアニメや、子供向け戦隊モノ(○○戦隊△△ジャーなるものの総称)なんかを見ると、悪者がコレでもかって悪さをして、「コレは絶体絶命!!」ってところまで追い込まれたところに颯爽とヒーロー登場!。悪者をやっつけて一件落着となるわけです。


で、コレってよくできているなぁ〜と私なんかは思うわけです。ん?何がって??それは、


「ヒーローが出てくるためには必ず悪者の存在が必要」


ってこと。言ってしまえば当たり前なのですが、コレってとっても重要なことです。


例えば、何にもないところに「ヒーロー」が現れて、「よーし、困っているヤツはいるか〜?俺が何とかしてあげよう〜」なんか言うわけです。さて、周りの反応はどんなものでしょう〜??。「しら〜」としている。われ関せず。チョット人がいい人だと、「まぁ今はそれほど困っていることもないですし。。。」くらいは声をかけてくれるでしょう。まぁ総じて「お呼びでない」ってことです(笑)。

そこで「悪者」が登場するわけです。コレがホント、悪くて悪くて、典型的な「悪」なんです。この悪者が人々をとにかく困らせる。それもチョットやそっとではなく、もうひどい事ひどい事。人々は「本当に困る」。この「本当に困る」という状況ができて初めて「誰か助けて!!」となり、「ヒーロー」が登場するのです。なんだか「悪者」に場をあたためてもらったみたいですね(笑)


「ヒーロー」が存在するためには「悪者」がいなければならない。そして、それぞれが役割を忠実に遂行してもらわないと話がまとまらないんです。悪者が人々を苦しめているときにおばあちゃんが「この子だけはお助けを。。。」とか言っているのを見てなんだか同情してきちゃった〜となったらダメなんです。ココは悪者らしく、そんなおばあちゃんも容赦なくいじめる!とにかくいじめる。でも、いじめたおして殺しちゃったりしちゃダメなの(爆)。だって殺しちゃったらヒーローでもさすがに助けられない。まぁ死なない程度にいじめる。これが「悪者」の役割なのです。


実は同じように我々人間もそれぞれ「役割」をもって生きています。そしてその役割を忠実に守って生きているからこそ「社会」というものが成り立っていると思うのです。ドロボーがいるから警察官がいるわけで、この世の中に悪者が一人もいなかったら警察官なんていらない。いや存在できない。というかむしろ悪者がいないのに警察官なんていたら、それこそあぶない。法律の下に武力を持つことを許されているわけですから、物騒この上ない状態になっちゃいます。


子供のころ、私もご多分にもれず「戦隊モノ」を見ていたので、正義感だけは強かった。で、あるとき小学校のクラスでいじめられている子を見つけた私は勇気を持って「いじめはよくない!やめろよ!」といってみたわけです。結果は。。。。


「大勢に影響がない」


でした。なんだか不思議なんですが、その状況がまったく変わらなかったのです。変化なしなんです。

そうこうしている間にいじめはエスカレートして、クラスのみんなにもだんだんそのことに気付いてくるわけです。これは、マズイんじゃないかと。で、ここで颯爽と学級委員長のA君が現れ、「いじめ、かっこ悪いよ」とか言っちゃうわけ。するといじめていた子も「ちぇっ」とか言って今までいじめていたのがウソみたいにいじめることをやめてしまうのです。A君がヒーローになったのは言うまでもありません。


さて、そこで私は何を学んだでしょうか?

「なるほど、私はチョット早く気付いてしまったのだな」ということ。言葉が悪いんですが、いじめられる側はまだいじめられつくしてはいなかった。いじめる側もいじめつくしていなかったということです。多分まだじゃれあっていた程度だったのでしょう。

思うに私が「いじめはよくない」とかいったときは、いじめる側もいじめられる側も「いじめ」なんかあるなんてこれっぽっちも思っていなかった。まだ「兆し」しかなく、私はその「兆し」をキャッチして早めに手を打ったということでしょうか。少々タイミングが早かったといってしまえばそれまでですが。

で、いじめがエスカレートして、誰の目にも明らかなくらいコレは「いじめ」だぞ!ってなってくる。舞台は整ったわけです。そこにA君登場で一件落着、めでたしめでたしですね。

で、子供のころの私は、「ほらみろ〜いじめられているだろ??」と自分の考えを正当化したり、「Aのやつ、本当はオレの手柄なのに横取りしやがって。。」なんて思ったものです。(←かわいいものです)


思うにヒーローという役割には「ここぞ!」っていうタイミングを逃さず、絶妙のタイミングで介入する力なんだと思います。早すぎてもダメですし、遅すぎてももちろんダメ。そのため「ここぞ!」ってタイミングが来るまで我慢する力(ここぞってタイミングが来るまで出来事自体に気付かない力かもしれませんが)であったり、躊躇しないで毅然と介入する力なんだと思います。


で、子供ながらに私が思ったこと。あぁ〜私は「ヒーロー」の役割ではないなと。と同時に、自分の役割もなんとなくわかりました。それは

「兆し」に気付いてしまうということは、モノゴトの構造をとらえることがうまく、かつ早い。
だからそれを人に伝えることが役割

なんだと。

というわけで、たくさんの人により多くの新しい視点を提供して、「ああ、なるほど。そんな見方もあるね〜」って人の可能性を広げるお手伝いをすることが私の役割なんだと自覚し、こんなコラムを書いているわけです。ちゃんと意味があって書いているんですよ(笑)


といわけで、皆さんは自分がどんな役割を担っていると思いますか?
チョット考えると、人生がチョコットだけ面白く見えてきますよ〜

スターバックスコーヒー

「『き』んき日本鉄道が営業距離数 私鉄No.1なんです」 ⇒ 「スターバックスコーヒー」

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いまやすっかり定番となってしまった「スターバックスコーヒー」。
そのスタイリッシュな概観と種類豊富なメニューで、既存の喫茶店の常識すらも変えてしまったといっても過言ではないでしょう。

がしかし、私は思うのです。「スタバはチョット苦しいんじゃないか」と。

というのも、もともとゆったりとした空間でおいしいコーヒーを飲む幸せを感じてもらうというスタンスで始めたはずなのに、実際店舗にいってみればわかるが、せまい、人が多い、ゆっくりくつろげない、これではドトールと同じではないかと。で、コーヒーの値段はドトールより高いと来ている。これではお客は離れる一方だと私は考えます。

が実際は過去より培った見えない力、魔法の「ブランド力」というものがあるので、まだ人を集めることができているが、実はビジネスモデルとして致命的な欠陥を持っている。それは一人当たりの単価(客単価)がなんとドトールより安いというところ。チョット考えてみればわかりますが、ドトールはコーヒーに加えて、ミラノサンドセットなど飲食も豊富で、以外にも客単価が高い。それに対してスタバは、基本的には飲食はおまけで、あくまでコーヒーで勝負しています。ここに差が出てくるわけです。

おまけにもともとのコンセプトが「ゆっくりとくつろいで」なので、お店の回転も悪い。ドトールはそれこそ、「食った、飲んだらすぐ店でろ!」的なくらい店が狭くて、居心地が悪い(←いい意味で割り切っていると思います、私は)。それはもう回転率が上がるわけです。

お店の売上げというものは「来店者数」×「来店一人当たり単価」×「回転率」で分解できますが、来店者数はともかく、それ以外の「来店一人当たり単価」、「回転率」で競合に負けているわけですから厳しい状況と言えるでしょう。私はそう見ています。


というわけで、高コスト、低利益が想像されるスタバ。私が厳しいんじゃないかと思うのは上記の理由からです。

上陸当初はその斬新さ、目新しさで来店客を増やしていたスタバも、店舗出展が一巡して売上げが伸びなくなってきた。そこで彼らは、一人当たりのお客さんのスペースを狭くして、より多くのお客さんが一度に入れるようにし、同時にお客さんが長くいずらい環境を作って、なんとか回転率を上げようとしたのではないでしょうか?

がしかし、私は思うのです。お店でもブランドでも、個々人でも同じですが、

「自分らしさ」と「今目の前のお客さん」を忘れて、目先の「売り」にばかり追いかけてしまうと、長期的に見ると厳しい状況に自らを追い込むものである

と。

スタバももともとは、「ゆったりとした空間でおいしいコーヒーを飲みながらくつろいでいただく」というコンセプトで始めたのに、お店の一人当たりスペースを狭くして、ぎゅうぎゅうにして、お客さんであふれ返さしてしまって、おまけに、

「コンセントのご利用はご遠慮ください!!」

。。
。。。

んだとっ!!

何様のつもりだ!!

誰のおかげで今のスタバがあると思ってるだ!!!(←結局これが言いたかっただけ(爆))

。。。
。。


私がスタバに行かなくなった本当の理由です。これでは、もとからいたロイヤルユーザーは離れてしまうでしょう。かく言う私もロイヤルユーザーだった一人です。昔のスタバは空いてて、静かで、お客も少なく、コンセントも使いたい放題。最高に良かったなぁ〜

スタバには、自分自身を取りもどし、昔のような「ゆとり」を我々に提供していただきたいと願うばかりです。



で、くぼみちが思う最強Cafeはって??


そりゃ〜「ルノアール」よぉ〜(byオリックスバッファローズ監督岡田さん風)


サラリーマンのオアシスであり、我々物書きにとっては楽園ですよ!
あぁ〜「ルノアール」のよさだったらスタバの10倍文章書けそう〜(爆)

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本日はスタバについて書いてみましたが、こうすればスタバは復活する!という考えもありますが、今回は本論とずれるので、またいずれ書かせていただきたいと思います。お楽しみに〜

最高のパートナーを見つける2つの方法


何回かにわたってお送りいたしました「恋愛」シリーズ。本日はいよいよ「パートナー」の見つけ方について書かせていただきたいと思っています。
が、えっ、恋愛ってなんこと?という方は是非下記過去記事をお読みください。ここ記事をお読みいただくことによって、本日の記事の内容をよりよく理解できるようになるからです。


☆『恋愛は「勘違い」から始まる!?』
☆『勘違いから始まった恋愛の行く末は??』
☆『「恋愛」しないと「結婚」できないの???』 
☆『恋愛のアイテとパートナーの違いは何???』 

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さて前回の記事で、恋愛の相手とパートナーの違いについて書かせていただきましたが、「パートナー」のもっとも特徴的なこととして、「安定感」「安心感」を感じるというところがあります。また恋愛の相手ともっとも違うところは、いわゆる「ドキドキ」や「ワクワク」そして「興奮」みたいなものがあまりないのです。

で、あまりにもその人といると「安定」しちゃうので、それが普通になってしまいます。なんだか「当たり前」なんですよね。恋愛みたいに、そうなんというか「ときめき!」がないんですよね。

で、またコレが神様のいたずらだなぁ〜と思うのですが、パートナー(になるであろう)人にはときめかないので、

本人が「パートナー」の存在に気付きにくいという

という「ワナ」があります。で、自分のパートナーは?なんて探し回って「恋愛」という落とし穴にはまってしまう。
人類が繰り返し続けてきた勘違いに見事にはまってしまうということなのです。


おい、わかんねーのにどうやって「パートナー」探すんだよ!!

おっしゃるとおりです。ではここから本題です。理想のパートナーを見つける方法をお話させていただきます。


理想のパートナーを見つける方法その1は「周りの人にきいてみる」ということです。

こんな話聞いたことありませんか?

「私、色々あったし、色々な男性とお付き合いしてきたけれど、なんだかやっと気付いたの。いや、目覚めたの!。A君がいつも私のそばにいてくれたの。今まであまりにも当たり前すぎたからぜんぜん気付かなかったけれど、これって幸せなことだと思うの。A君といるといつも私自然だいられるの。もうわかったの。もう間違わないわ。A君が私にとって理想のパートナーなの!!」

まぁ、よく聞く話ですが、面白いことに周りの人はとっくに気付いていたりします。「はいはい、やっと気付きましたか〜我々はあなたに何回言ったかな?このこと」こういうときの周りの反応は冷ややかですよね。

自分は気付かなくても、周りの人は気付いている。世の中そんなものです。だからそのことを逆手にとって、周りの人にきいてみることです。

「私にあっていそうな人ってどんな人?」だとか「もし私にあいそうだなぁ〜って人がいたら紹介して〜」

みたいに軽くきいてみることです。親しい友人ならきっと色々と言ってくれるはずです。


さて、理想のパートナーを見つける方法その2は「理想のパートナーと生活しているところをイメージする」です。

これはたくさんの方の相談を受けて、ほぼ100%の確立でパートナーに出会える方法だと結果が教えてくれる方法です。それはどんな方法かというと、「すでにあなたが理想のパートナーと理想の生活をしているところを想像する」という方法です。具体的な方法を下記に書かせていただきますので、是非お試しください。

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さぁ、目を閉じて、リラックスした状態を作り、イメージしていきます

あなたは自分にとって最高のパートナーと最高の生活を送っています。とってもとってもしあわせです。

さぁ、そこには何が見えますか?

何が聞えますか?

そしてあなたは何をしていますか?

パートナーは何をしているでしょう?

こんな幸せな生活をしているあなた。

あなたの体の感覚は?あたたかい感覚かもしれませんし、やわらかい感覚かもしれません。ゆったりした感覚かもしれません。

さぁ、その感覚を体中でいっぱいいっぱい感じていきます。

その感覚があなたの体の中でどんどん膨らんでいき、

頭の先から、体中をめぐり、足のつま先まで広がっていくのを感じます。

この感覚が体中にいっぱいになるまで感じていきます。

さぁ、体中がこの感覚をいっぱいになったら目を開けていきます。。

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さぁ、どんな体験だったでしょうか?

さて、ここでのポイントは「具体的な条件とかではなく、あなたの体の感覚に訴えている」というところです。
そしてさらに究極の方法をお教えいたします。それは、

「今味わった感覚を出会って最初から感じた人があなたにとってのパートナー」

なのです。コレってホントスゴイですよ。

多くの人は、「恋愛」してお互いぶつかりあって、お互い改善して、「結婚」。色々あって最終的には「理想の生活」をパートナーと送ることができると考えています。たしかにその側面はありますが、何も最初から厳しい道のりを進む必要はないのではないかと思うのです。

最初から「あの」パートナーと理想の生活を送っている感覚でいられる人、これがあなたにとっての「理想のパートナー」なのです。
最初からそういう人を探すんでよいのだと私は思います。


是非一度イメージしてみてください。
そして、イメージして出てきた感覚を常に忘れず意識して、日々をすごしてみて下さい。

きっとあなたにとって理想のパートナーが現れますよ〜
そして、それは以外にもあなたのすぐそばにいて、あなたが気付くのをまっているかもしれませんよ


それでは、また。

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<補足>

多くの本で書かれている、理想のパートナーを見つけたいのであれば「詳細にその条件を紙に書き出す」ということを提唱していますが、私はそれには反対です。言葉で表現してしまうと、どうしても「表面的」な条件、いうならば「他人のものさし」で条件を書いてしまうからです。例えば収入は○万円で、身長は○cmで。。。といった感じで。

でこうしてしまうとどうしても「紙に書いた条件に固執してしまう」という状況が生まれます。ようは一つでも外れていると「この人は理想のパートナーではない」と勝手に決め付けてしまうわけです。(それも人がきめたものさしで、です)

条件があると幸せになれるわけではないのです。
一緒にいると幸せだなぁ〜って感じる人がパートナーなのです。何か条件が欠ければ幸せと感じなくなるものではないでしょう。
そもそもの考える順番が違うのです。

恋愛のアイテとパートナーの違いは何???


本日は前回お話したとおり、「恋愛」と「パートナーシップ」の違いについて書かせていただこうかと思っております(お待たせしました)
ん、「恋愛」の話って何??という方は、今までの記事をご参照ください。

『恋愛は「勘違い」から始まる!?』
『勘違いから始まった恋愛の行く末は??』
『「恋愛」しないと「結婚」できないの???』 

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さて本題に入らせていただきます。

前回は、「恋愛」と「結婚」の違いについて書かせていただきました。一般的には、「恋愛」 → 「結婚」という図式が成り立ち、恋愛の延長線上に結婚があると考えられています。しかし、この「恋愛」が曲者で、『恋愛は「勘違い」から始まる』 でもお話させていただきましたが、

 恋愛は恋愛することが目的になりやすく、そのために「確信」ではなく「勘違い」からアイテを選んでしまうことが多い
 (私にはこの人よ!!って決め付けちゃうわけです。盲目になっている状態)
 
 がしかし、それは勘違いのため、その勘違いに覚める(目覚める)瞬間が必ずあり、こんなはずではなかった〜〜〜

となってしまうわけですね。まだ恋愛で止まっていればそれほど問題にはならないのですが、「勘違い」のまま結婚までして子どもができて家族となってしまったら、昼の連ドラのごとく、見てられない状況になりますよね〜(私ダメなんですよね〜あのドロドロした話(爆))

ココまでが前回の復習ととなります。そして本日は、以上を踏まえて新しい概念を持ち込みたいと思います。それは「パートナー」であり、「パートナーシップ」という言葉です。この言葉自体、非常にありふれた言葉ですが、様々な意味合いに用いられているので、ココで私が考える「パートナー」「パートナーシップ」について定義付けをさせていただきたいと思います。「パートナー」は言葉で表すと非常に難しいのですが、あえて言うと

「パートナー」はお互いを尊重し合い、助け合い、高めあい、そして助け合うそんな関係

といえるかと思います。そしてそうやってお互いがお互いを高めあっていくことそのものが「パートナーシップ」なのです。もう少し特徴を明らかにするために、あえてココで「恋愛のアイテ」と「パートナー」を対比してみたいと思います。

<まず出会い編>

「恋愛のアイテ」  → 「勘違い」から始まる
「パートナー」   → 「確信」から始まる (あまりにも確信過ぎるため最初は気づかないことも多い)

<出会った当初の感覚>

「恋愛のアイテ」→ ドキドキ、刺激的、わくわく(当然ですが、違いを感じている)
「パートナー」 → 安心感、安定感、自然な感覚 (何だかずっと前から一緒な感じがする)

<出会って3ヶ月〜5ヶ月>

「恋愛アイテ」 → 刺激的で何があっても楽しい。喧嘩をしても楽しくて仕方がない
「パートナー」 → 相変わらず安心感、安定感、お互いのこの先のことを相談できるようになる

<出会って5ヶ月〜1年>

「恋愛アイテ」 → こんなはずではなかった。勘違いに気づく。アイテとの違いが次第に広がり、不信感につなあることも多い
「パートナー」 → 違いの部分を、お互いに尊重し合い、そしてその違いを喜びに感じることができる。 
          この頃になると、どんなことがあっても応援したくなってくる

<ちなみにSEXについて>

「恋愛アイテ」 → 刺激、興奮、身体的快感
「パートナー」 → 一体感、精神的快感(満たされている感覚)

となります。なんとなくイメージがつくでしょうか?

書かせていただいたとおり、勘違いで出会った恋愛相手とパートナーとはここまで異なる感覚なのです。皆さんは今までお付き合いした人、どちらの感覚でしたか?(笑)まぁ、今からでもまだ間に合いますよ(笑)


今回は、恋愛のアイテとパートナーとの違いについてご説明いたしました。次回は、「どうやってパートナーを見つけるの?」というところに入っていきたいと思っております。(←やっとかいな!)

特に、出会い編で書かせていただいた通り、パートナーは「確信」から始まってしまうので、なかなか自分では気づけないというワナがあります。その部分も含めて、お話させていただきたいと思っています。

それでは、また。